アキレス腱断裂 それは選手生命を脅かすぐらいの重症です。
場合によってはそのまま選手生命を終わってしまい、引退ということも十分に考えられます。
今回はそんなアキレス腱を断裂してしまい戦線を離脱した有名人だった裏プロ野球選手についてまとめてみましたので解説していきたいと思います。
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狩野舞子のアキレス腱断裂
2012年のロンドン五輪女子バレーボール銅メダリストです。
美人バレーボーラーとしても有名な選手です。
あの世界のオオタニサンとも噂になった方ですね。
佐古賢一のアキレス腱断裂
2005年 35歳でJBL3連覇がかかったJBLファイナルを前に左足アキレス腱断裂してしまいました。
現役復帰を目指しリハビリを続け、翌2006-07シーズンの開幕戦から復帰されています。
門田博光(南海)のアキレス腱断裂
南海ホークス(現ソフトバンクホークス)でホームランバッターとして活躍していた門田選手です。
パワプロの OB でも出てくるくらいなので名前ぐらいは知っている方が多いのではないでしょうか。1979年2月に高知県キャンプの際、アキレス腱を切ってしまう事故にみまわれました。
門田選手は救急車が来るまでの25分間相当痛い思いをしながらもうもがいていたそうです。
手術は無事成功し 何とか出してもらえる試合では
毎打席これが最後の打席になるという気持ちで入ろうという決意をしていたそう。
これってメメントモリの死を想えっていうことの内容と似ているような気がしましたなぜならば、1打席1打席がこれでもう最後の打席だという風に考えるということは1日1日がもしかしたら最後の日になるかもしれないっていう考えと似ているというふうに私は感じたからです。
さらにすごいのがホームランを打てば全力疾走しなくて済むという考え。
足に負担がかからないのでだったら全打席ホームランを狙ってしまえばいいという思考の持ち主だったということ。
結果的にはアキレス腱断裂後にホームラン王打点を MVP を獲得するという超人的な離れ業をやってのけたというところがすごいです。
巨人 吉村禎章の左膝靭帯断裂
吉村 禎章(よしむら さだあき、1963年4月27日 – )は、奈良県御所市出身の元プロ野球選手(外野手)。
吉村選手は子供の頃によく代打で出てきてるのを私は見ていましたなので全盛期時代のことが全くわからないのですが、アキレス腱を断裂する前はめちゃくちゃ売っている選手だということだけは情報で知っておりました。
吉村選手はなぜアキレス腱を断裂してしまったかと言いますとレフトの守備に入っていた際にフライが飛んできてセンターの選手とぶつかってしまいました。
この時の事故は重度の障害者認定を受けるほどの大事故であり日本ではなく渡米してスポーツ医学の権威であるフランクジョーブ博士の下で手術を行ったということです。
1年以上の非常に長いリハビリ生活を経て直線であれば100 M 11秒台前半で走れるまでに復活したということです。
凄いですよね正直100 M を11秒台で走れる時点でめちゃくちゃ足が速いんですけれどもこんだけの事故を起こして毎度走れるようになるってのは並大抵の努力と言うか今生ではたどり着けない領域だとは感じます。
広島東洋カープ 前田智徳のアキレス腱断裂
右アキレス腱の断裂後に左アキレス腱の断裂持ってしまった過去を持つ広島東洋カープの前田選手。彼が怪我をしなければ間違いなくイチローに匹敵するぐらいの成績を残したと思いますが、前田選手のすごいところは仮に怪我をしたとしても諦めずに最後までプレーをし続けたというところに魅力を感じます。
ちなみに両方のアキレス腱を断裂して復活した選手は前田選手のみなので、不屈の闘志は見習いたいというところは私も感じております。
巨人エリック・テームズ のアキレス腱断裂
長いプロ野球史上で最も早くアキレス腱を損傷して負傷退場したのが巨人のエリックゲームズです。
いきなりの試合でいきなり招待状ということでもはやギャグとしか思えないような状況で帰国してしまいました。
必ず手術を成功させて戻ってくるとのことで台詞を残しましたがそんなこと言われても給料を払ってる側の巨人からするとふざけんなということが本音でしょう。
これならば育成選手を多く獲得したほうがよいですよね。
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