昭和時代の野球選手でプレーボーイ、といえば文句なしで広島カープの高橋慶彦選手ですね。有名タレントやクラブのママ、一般人や夜のお仕事の女性など数々の浮名を流した走攻守顔と四拍子の揃った名選手です。
高橋慶彦の嫁(奥さん)は誰?
そんな高橋選手は、三度の結婚歴があるようです。CAやタレントとの結婚と言われていますが、プライベートを語らない粋な遊び人であり「夜の盗塁王」と呼ばれた高橋選手。奥さんについては、本名や詳しい情報がないようです。
高橋慶彦の娘は何人?
高橋選手には娘さんが一人います。名前は高橋雛子、声優やタレントを生業としていることから実名や高橋選手の娘であることが明らかになっているようですね。
高橋選手のYoutubeでの共演し「夜の盗塁王の盗塁結果でございます!」と自己紹介をして笑いを誘っていました。クラッシックバレエと英語が得意だという雛子さんは、声優としては駆け出しのようで、イナズマイレブンやダイヤのAといったアニメの脇役としての実績があるそうです。
雛子さんと共演した高橋選手のYoutubeでは、滅多に見ることのできない父としての高橋選手の一面も見ることができ、貴重な映像となっています。
高橋慶彦が再婚した理由は?
「高橋選手は三度の結婚歴がある」「プライベートを語らない粋な遊び人」と書きましたが、なぜ再婚したのかも詳しくは語られていないようです。
娘さんである雛子さんが生まれたのは高橋選手が40歳ごろのようで、三度目の結婚のときのお子さんではないかと言われています。そのため、あくまで推測の話ですが「できちゃった婚」だったのかもしれませんね。
高橋慶彦の若いころの伝説とは?
モテモテだった高橋選手の伝説を二つ紹介します。女遊びも野球も本気だった高橋選手は、よく、彼女の家にバットを持ち込んで夜中に素振りをしていたようです。
そうした努力もあって、今でいう山田哲人選手のような、「長打、盗塁、守備、打率」と均整の取れた名選手としてレギュラーを張ってきたのでしょう。
そして、一番の伝説といえば、銀座のクラブのママであった当時の彼女に、ポルシェを買ってもらった話でしょう。
彼女との滞在先であるホテルで、偶然停車していた白いポルシェに見とれていた高橋選手に、小切手を渡し「これで買いなさい」と言った彼女であるママ。
そのくらい高橋選手に入れ込んでいたのでしょう。昭和時代が生んだ名選手であり名プレーボーイ、それが高橋義彦選手なのです。
一般のファンの人たちからもやはりモテモテでした。
本気で嫁になりたかった位好きでした(*^◯^*) RT @MASATAKA_0430: 高橋慶彦カッコエエ。(´ー+`)キラッ
— でこ@ロマンよりマロン (@dekosuke318) October 27, 2012
私も〜‼︎
じゃあ高橋慶彦わかる?
本気で嫁にもらって欲しかった(*≧∀≦*)— tokorin (@tokonatuf) October 30, 2016
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