大谷翔平選手は、高校時代から監督も一目置くようなずば抜けていた選手でしたが、一度遅刻をしてしまったことがあります。
監督は一目置いていたのにも関わらずやる気のない選手は玉広いしなさい。
部活には参加しなくて良いといわれて悔しかったという話を聞いたことがあります。
ですが、彼は野球だけでなく道端に落ちているごみは運を拾うと思っているようで、見つけたら拾っているそうです。野球だけでなく私生活から努力をされているということがわかります。
今回はそんな大谷選手の努力と天才と一言で言ってはいけないエピソードも交えてお話しします。
大谷翔平は努力家の遺伝子?
大谷選手はもともとご両親に恵まれていました。
大谷選手のルーツを辿っていくとすごいしっかりとした家庭で育てられたんだなっていうのが幼少期からの教育でわかってきます。
そして高校時代に有名な夢ノートを書きますが、これらは元々幼少期にご両親から受けていた指導が花を開いたんじゃないかなという風に思います。
努力は遺伝する
努力できるのも遺伝の関係があると本で読んだことがありますので大谷翔平選手は努力ができる才能を持った選手だということがわかります。
また、どうすれば継続することができるのか?
という点についてもお父さんとの野球ノートというものを幼少期から作っており繰り返すことの重要性が理解できました。
打者としての特徴の一つとして、逆方向のレフト側への長打力がすごいです。
その技術の獲得のための努力は何処で行われたかですが、少年時代に遡ります。
河川敷の空き地の練習場で、強打の大谷少年の打球は悉くライト側の塀を越え川に沈んだ。それで練習球を確保するため、コーチに「全部左方向に打て」と言われた。
それから彼の試行錯誤が始まり、練習を繰り返した。
その年から外角球を捉える本塁打が急増。彼は生来努力家なんだと感じました。
大谷翔平の天才だけではないエピソードも。
大谷選手といえば、夢ノートですよね。
高校3年間で目指す場所をもぎり取るというところ。
そして、それを目指していやっていくということについてここまで高校時代にできる人間がいるでしょうか?
大谷選手はもともとをご両親がスポーツ選手だったということもありまして遺伝という面で大いに有利だったということはうなずけます。
世界の室伏広治氏のご両親も鉄人でしたし、遺伝という影響はどう考えてもありますよね。
しかしながら大谷選手に行ってきたことを私たちの生活に取り入れることによって文字にでも少しはましになってくる可能性があるのではないでしょうか。
まだ若いのにこれだけ活躍している大谷選手を目標にしている若いプレイヤー達も多いと思います。
若い人たちだけはなくミドル世代だったりだとか中高年の世代の方々も大谷選手を見習ってやっていけたらいいなと思っております。
皆さん自分なんてちっぽけな存在と思われるかもしれませんが、本当に微々たる小さな取り組みが重なり続けることによって大きな成果を出すことができます。
今までの記事一覧をまとめてみました。
こちらを確認していただければあなたの気になる人物もすぐに見つけることができますよ。