【最強】高橋慶彦の若い頃や伝説のエピソードがヤバい!?

高橋慶彦さんといえば1970から80年代の広島を引っ張ったスイッチヒッターです。

プレーだけでなく私生活も派手で有名女優と浮名を流しました。夜の盗塁王とも呼ばれ、当時アイドル的人気を誇った選手。

言いたいことは言う性格でもめ事も多かったが、練習の虫で今でも伝説になっているほどの量をこなしました。ダイエーなどでコーチを務め現在はYouTuberとして活動。広島OBを巡る謝罪の旅では、先輩後輩に謝ってばかり。今でも人気者です。

そんな高橋慶彦さんの若い頃や伝説のエピソードがヤバいという噂がありますので今回調べてみました。

 

高橋慶彦の若いころの伝説とは?


出典:YouTube

モテモテだった高橋選手の伝説を紹介します。

女遊びも野球も本気だった高橋選手は、よく、彼女の家にバットを持ち込んで夜中に素振りをしていたようです。

そうした努力もあって、今でいう山田哲人選手のような、「長打、盗塁、守備、打率」と均整の取れた名選手としてレギュラーを張ってきたのでしょう。

かなりの努力家

さすがにトリプルスリーという所まではいきませんでしたが、スイッチヒッターということ自体が珍しかった時代で成果を出してきたのですから、そうとうな努力をしてきたことは間違いありません。

その時代の写真がこちらです。確かにイケメン過ぎますよね。

基本的に運動しすぎ、動きすぎると体が故障してしまうリスクも高まりますが、そのリスクをものともせずに能力をひたすら伸ばし続けることができたというのは体が強かった高橋さんの実力だったのだと思いました。

ファンに乗り込む

高橋慶彦さんが現役時代に起こした伝説的なエピソードの一つとして試合中や試合後に彼が感情的になり、その勢いで起こした数々の行動です。

まず、動画の冒頭で語られているのは、彼が試合中に相手選手の態度や行動に激怒し、試合終了後にその選手が宿泊しているホテルに乗り込んだというエピソードです。

これについては、複数のバージョンが存在するようで、ある話では高橋さんがホテルの前で大声を上げ、関係者に止められて帰ることになったとされています。

また、別のバージョンでは、実際に相手選手の部屋まで行き、部屋を叩いて怒りをぶつけたという内容もあります。

さらに、動画の中盤では、高橋さんがホテルの前で怒りを抑えきれず、その選手と直接話をしなければならないと感じ、行動に出たことが最大の「切れた瞬間」であったと語られています。

彼の男気や、チームメイトを思う強い気持ちが、その行動の背景にあることが示唆されています。

また、特筆すべきは「カーチェイス」の話です。

相手が逃げる車を追いかけ、最終的には道の突き当たりで停止するという、まるで映画のような展開が描かれています。

このエピソードでは、高橋さんが冷静に法定速度を守りつつも、相手を追い詰めていく様子が描写され、当時の彼の行動の大胆さと熱さが伝わります。

動画全体を通じて、高橋慶彦さんが持つ熱血漢であり、非常に情熱的な性格が強調されており、彼がただの伝説的な選手ではなく、感情豊かで男気溢れる人物であることが浮き彫りにされています。

ポルシェと夜の外出とモテぶり

高橋慶彦さんは現役時代、練習後に毎晩のように外出する習慣があり、非常にエネルギッシュなライフスタイルを送っていたとされています。特に、銀座のママさんからポルシェを贈られたというエピソードは、高橋さんのモテぶりを象徴するものです。当時、プロ野球選手としても一流だった彼は、その華やかな私生活でも注目を集め、女性たちからも非常に人気があったことが伝わります。

そして、一番の伝説といえば、銀座のクラブのママであった当時の彼女に、ポルシェを買ってもらった話でしょう。

彼女と付き合っている際にの滞在先であるホテルで、偶然停車していた白いポルシェに見とれていた高橋選手に、小切手を渡し「これで買いなさい」と言った彼女であるママ。

広島にあるいすゞモータースという車屋さんでポルシェを購入してきたということです。

ポルシェの値段といえば、最低でも800万円台から始まり最高クラスですと2000万円もする高級車です。

そのくらい高橋選手に入れ込んでいたのでしょう。昭和時代が生んだ名選手であり名プレーボーイ、それが高橋義彦選手なのです。

そしてポルシェといえば、あの斎藤佑樹氏のカイエン乗りてぇの言葉を思い出してしまうのは私だけでしょうか?

高橋慶彦さんは自分自身の実力でポルシェをつかみ取ってしまったので、やはり相当な実力者であったことは間違いないでしょう。

一般のファンの人たちからもやはりモテモテでした。

某ピッチャーと同じ車になったということ。ちなみにその某ピッチャーは北別府学氏ではないかということをが言われています。

その時に載っていた車はBMWだったということですが、被るのが気に入らなかったようで速攻で車屋さんで交換してきたというエピソードがあります。

タクシー移動の逸話

高橋さんは、広島から名古屋や大阪までの長距離移動を、贅沢にもタクシーで往復していたという逸話も語られています。普通であれば飛行機や電車を使う距離で、タクシーを利用するという豪快な行動が、彼の生活のスケールの大きさを感じさせます。

監督としての熱血エピソード

高橋さんが2軍監督を務めていた時、試合中にピッチャーを使い果たした際、内野手として起用された選手が思わぬ活躍を見せるエピソードがあります。彼の情熱的な指導ぶりや、選手たちを試合中にも鍛え続ける姿勢が強調されています。また、選手たちに対して時に厳しく、感情的に接する一面もありました。特に、広島時代に監督や他の選手と口論になったり、熱くなりやすい性格が試合にも影響していたという話があります。

兄弟喧嘩やチーム内の衝突

チーム内で選手同士や監督との衝突もありました。兄弟のように親しい選手同士が試合中に口論し、時には殴り合いに発展することもありました。このような場面でも、高橋さんは仲裁に入ったり、時には自分も感情的になって選手たちを叱責することもあったとされています。

広島時代の豪快な行動

広島時代には、練習や試合前後にも関わらず、仲間と夜の街に繰り出したり、銀座のクラブなどで飲み歩いていたというエピソードも多く紹介されています。特に、タクシーを利用しての長距離移動や、キャンプ中にも夜遅くまで外出していたことから、彼の自由奔放な性格が伺えます。

ジャイアンツとの比較とセキュリティの違い

高橋さんは他球団との違いについても触れており、ジャイアンツはセキュリティが非常に厳格で、ホテル内でも特別な待遇を受けていたことが語られています。エレベーターを降りたらすぐに警備員が待機していたり、部屋へのアクセスも制限されていたりと、当時の巨人軍が特別な存在であったことを強調しています。これに対し、ロッテや広島の待遇はもっと自由で、選手たちはリラックスした環境で過ごしていたようです。

プロ野球選手の生活と遊び

また、野球選手としての生活だけでなく、彼らの遊びの面も強調されています。プロ野球選手たちは女性にモテることが多く、ホテルに女性を連れ込むなど、プレイボーイ的な一面も多く見られたといいます。高橋さんもその中で、豪快な生活を楽しんでいた一人で、特に宿泊先での逸話が印象的です。

日本人で初めて目の下を黒くした選手

もう一つの伝説としては野球選手で目の下に黒塗りをされている選手がいらっしゃいますが、これを日本人で初めてした選手が高橋さんということです。

ちなみに1975年に目の下を黒くしたということ。

この時にコルクを燃やしてその炭を顔に塗っていたという普通の人では思いもつかなかった行動を行っております。

また、日本人選手で初めてガムをかんだのも高橋さんだったということ。

ストッキングをピンピンにしたのも高橋慶彦さん。

球界で初めて借り上げたのも高橋慶彦さん。

最後に高橋さんの影響力とユーモア

動画全体を通して、彼は選手や監督としての才能だけでなく、その人間的な魅力、ユーモア、そして型破りな生き方が強調されています。

彼の型破りな行動や豪快なライフスタイルは、後輩選手やファンにも大きな影響を与えました。

ということで、なかなか最先端のことをこれまでされてきたのだなということを理解できないでしょうか。

高橋さんの作り上げてきた功績をもとにしていまのカープの若手も奮闘していってくれたらいいですね。

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