【やばい話】おじろくおばさの現在や嘘本当?長野県天龍村は実はアレの名産地!

あなたはおじろくおばさという言葉を聞いたことがありますか?

私は都市伝説の話を調べていくにあたってこの言葉を知りました。

このおじろくおばさという言葉は調べてはいけない言葉の一つとしても有名です。

長男が絶対神として生きていくことになり、次男以降は結婚や世間との交流もまったくできずに死ぬまで、自分の家でこき使われてしまうという制度です。

こんな嘘のような話があったのかということなのですが、

実際に長野県に実在した「おじろく・おばさ」という風習です。

人間が生きていくために行った苦肉の策をしていたのかもしれません。

いわゆる座敷牢的な感じなのか、おじろく・おばさは自ら考えて行動するということをすることができなくなってしまいます。

まるでロボットのような無感動な性格になってしまっているということが精神科医の話からもわかっています。

この人権を完全に無視した黒歴史を根掘り葉掘り話していきたいと思います。

おじろく・おばさとは何?

おじろく・おばさとは、長野県の旧神原村(現下伊那郡天龍村神原)にて
16~17世紀ごろから数百年と存在した制度です。

私は飯田線に何回か乗ったことがありますが、この路線は本気でどこまで急勾配を登っていのだろうか!!というくらいに急な場所を登っていきます。

そして周囲に何もありません。駅を降りる人がいるのだろうか??というくらいに何もありません。

ちなみに小和田(こわだ)という駅が近いですが、雅子妃の旧姓が小和田(おわだ)だったこともあり

ご成婚の際はこちらの駅が有名になりました。

飯田線と言えば鉄子の旅という漫画でも有名になった路線ですね。

 

そしてドライブが趣味という人にとってはこちらの場所は日本三大酷道の1つ
「国道418号線」がある場所ということを伝えればその酷さがわかると思います。

伝説の国道なのに通行止めされているという意味不明な場所です。

 

斜面が多く平地が少ないため、食べ物を作るための耕地面積が少ないという僻地な場所でした。つまり家長となる長男以降の子供を養うための食料的な問題が多かったのだといいます。

ある意味人口制限ということで村の人々は強制的に人口を少なくするための方法としておじろくおばさという方法を考えたのだといいます。

おじろくおばさの現在や過去はどんな感じだった?

 

一家のうち長男のみが全てを管轄します。結婚して社会生活を営めるのは長男長女だけです。

それ以外の子どもは、男はおじろく、女はおばさと呼ばれ、死ぬまで無償労働をさせられたということです

何がヤバいかというと完全に人権を無視しているところです。

他家に養子になったりして自らの家を離れる以外は結婚を許されない環境だったり、
村人との交際も禁止。

村祭りの参加も禁止というしてはいけないことが多すぎたということ。

さらに性的なことも全くできないままお亡くなりになられたということです。

現在ではこの風習はないことは当然なのですが、

明治5年(1872年)には人口2000人の村に190人。

昭和40年代(1965~1974年)の時点で、3人の「おじろく・おばさ」が実際にいたということ。これはヤバいですね。

 

おじろくおばさはサーカスの象

おじろく・おばさは、家族に不明不満も言わずにたくさん働いたと言われています。

ただし過酷すぎるその生活は彼らの精神的なところを確実におかしくしていったことは間違いありません。

他人が話しかけても挨拶ができない。

常に無表情で怒ることも笑うこともない。

将来の夢どころか趣味もない。

これって思考を完全に搾取されてしまっているという風に認識しました。

反抗して村を出ようとする人も少なく、ごくまれに出る者があっても人付き合いが上手く出来ず、結局は戻ってきてしまったということ。

今のようにネットがある時代だったら大問題になっていたことでしょう。(今の時代になったから問題が可視化されている)

サーカスの鎖につながれた象)という言葉がありますが、まさにおじろくおばさもこのような形で幼少期からの洗脳により自分には何もできないと思ってしまっていたのかも知れません。

 

いわゆる座敷牢というのがこれに近いものなのかなと思われますが、座敷牢は本当に家の中から出ることができぬまま死ぬのでまだおじろくおばさのほうがマシなのか??とも思ってしまいますが、理不尽すぎます。

ちなみに座敷牢(ざしきろう)は、江戸時代に存在した刑罰の一つで、犯罪者を監禁するための施設でした。

座敷牢は、地下にある密室のような場所に犯罪者を閉じ込め、食料や水は与えず、犯罪者が自ら犯した罪を悔い改めることを期待していました。座敷牢は、主に身分の高い人々による不義行為などの罪を犯した者に対して、身分を下げることなく処罰するために用いられました。

座敷牢は、人間性を否定し、極端な孤立状態を強いることで精神的な苦痛を与える刑罰であり、現代の人権観念からは問題視されます。そのため、現代の日本では、座敷牢は廃止され、人権尊重の観点から、より人間的な刑罰制度が導入されています。

これって何かに似ていると思いませんか?

そうです。いわゆるブラック企業問題とそっくりだということがわかります。

つまり日本人というのはこの数百年間全く進化していないのかもしれません。

そして基本的人権を失わせようとする政策がすすめられているなかですが、これからまた新しいおじろくおばさのような感覚がでてくるのかもしれません。

https://twitter.com/nao03601/status/1423306127312187396?s=20&t=5SjdkcRnN0k8j_bRzNAFqg

 

おじろく・おばさへのインタビュー

『精神医学』1964年6月号には、
信州大学医学部神経科 近藤 廉治氏による研究報告として「未文化社会のアウトサイダー」

が発表されています。

現存していた男2人、女1人のおじろく・おばさを取材し、彼らの精神状態を診断されたという貴重なインタビューがあります。

ちなみにソースとしてはこちらになります。

I.おじろく,おばさ制度

耕地面積の少ない山村では農地の零細化を防ぐために奇妙な家族制度を作つた所があつた。長野県下伊那郡天竜村(飯田の近く)では16-17世紀ごろから長兄だけが結婚して社会生活を営なむが他の同胞は他家に養子になつたり嫁いだりしない限り結婚も許されず,世間との交際も禁じられ,一生涯戸主のために無報酬で働かされ,男は「おじろく」,女は「おばさ」と呼ばれた。家庭内の地位は戸主の妻子以下で,宗門別帳や戸籍簿には「厄介」と書き込まれていた。かかる人間は家族内でも部落内でも文字通りの疎外者で,交際もなく,村祭りにも出ることもなかつた。明治5年には人口2,000人の村に190人の疎外者がいた。昭和35年には男2,女1となつて今や絶滅に瀕しているが,このような社会からの疎外者はどんな人間になつているかを検する機会を得た。

引用:精神医学 6巻6号 (1964年6月)

普段の彼らにいくら話しかけても無視されるため、催眠鎮静剤であるアミタール面接をしていたということ。(麻酔薬を使う精神分析の一つ)

そこから固く無表情だったが柔らかくなってぽつりぽつりと質問に答えることができたのだとか。

以下、レポート中にある「おばさ」へのインタビューより抜粋したもの

「人に会うのは嫌だ、話しかけられるのも嫌だ、私はばかだから」

「姉が死んでも別に悲しくもなかったが、死にかかった顔は痩せて気持ちが悪かった。」

「近所へ遊びに行ったのは子供のときだけで、あとは暇もなかったし用事もなかった。遊びに行きたいとも思わなかった。」

「自分の家が一番よい、よそへ行っても何もできない、働いてばかりいてばからしいとは思わないし不平もない」

引用:精神医学 6巻6号 (1964年6月)

続いては、村の古老数人の話から。

数人のおじろくを知っていたが、結婚もせず一生家族のために働いて不平もなかった。

子供のころは普通であったが20才過ぎから無愛想な人間になり、その家に用事で行くと奥へ隠れてしまうものもあり、挨拶しても勝手に仕事をしているものもあり、話しかけても返事もしなかった。

おじろく同士で交際することもなかった。時におじろくがおばさの所へ夜這いにいったなどという話もあったが、こういうことは稀であった。

恐らく多くの者は童貞、処女で一生を送った。怠け者はなくよく働いた。

引用:精神医学 6巻6号 (1964年6月)

ここで興味深いことは、子どもの頃は普通であったという部分ですね。

つまり、非社交的な性格は非常にきつい環境によって得てしまったという後天的な要素が数多くあるということ。

閉鎖空間と社交性には、ある程度の関連性があるとされています。

閉鎖空間にいる場合、外部との交流が制限されるため、社交性の高い人ほどストレスを感じやすい傾向があります。一方で、社交性が低い人は閉鎖空間での生活に適応しやすい傾向があります。

また、閉鎖空間での社交性には、短期的な影響と長期的な影響があります。短期的には、閉鎖空間での共同生活において、コミュニケーション能力や協調性が求められるため、社交性の高い人が優位に立ちやすいと言われています。しかし、長期的には、閉鎖空間での生活が長引くと社交性が低い人ほどストレスになりやすく、社交性が高い人ほどストレスに対処しやすい傾向があるとされています。

自分自身の自己肯定感だったり、そういうものが削がれてしまったのだと予想できます。

親たちも長男のために尽くすのがおじろくおばさの役割だということを全く違和感なく行っていたということです。

おじろくおばさの画像はある?

おじろくおばさの画像については複数種類発見できましたので紹介してきます。

何という書籍なのかは不明なのですが、しっかりと証拠が残っているのが恐ろしいですよね。

 

 

おじろくおばさとブラック企業問題

この現代社会には「おじろく・おばさ」の風習はもう存在ません。

ですが、これって上記にも書いたとおりブラック企業問題と似ているとは思いませんか?

社員の人生を奪い取って搾取する経営者。

うつ病や過労死、ひきこもりや8050問題など
現在の日本の社会問題と似ている部分が多くあると私個人的には感じました。

私もブラック企業で働いていたことがありますが、なぜ逃げれないのか?

こんな環境をぶっ壊して別のところに行けばよいのでは?というアドバイスもあったと思いますが、実際はそういうことって難しいのですね。

命を脅かすようなブラック企業で働く労働者らがなぜ退職しないのか??

ブラック企業問題と奴隷制度との関係については、以下のような観点が考えられます。

まず、ブラック企業問題は、従業員に対する過剰な労働負担や不当な労働条件などが指摘される問題です。

一方、奴隷制度は、人々を所有し、労働力として使役する制度であり、人権侵害や人間の尊厳を踏みにじる問題でした。

このように、ブラック企業問題と奴隷制度は、その本質や社会的背景が異なる問題であると言えます。

ただし、ブラック企業問題が起こりやすい背景には、長時間労働を強制することで、従業員を安価で過剰な労働力として利用する企業の経営戦略があるとされています。

この点では、ブラック企業が従業員を奴隷のように扱う構造があるとの指摘もあります。

また、奴隷制度は人権侵害であると同時に、経済的な利益を生むことができました。

一部の企業や産業においても、過剰な労働負担や不当な労働条件を押し付けることで、一時的な経済的利益を得ようとする企業があるとも考えられます。

このような企業は、従業員を単なるコストとしか捉えず、人間らしい暮らしや尊厳を考慮しない傾向があると言えます。

しかし、ブラック企業問題が奴隷制度と同一視されることは適切ではなく、従業員の人権や尊厳を尊重する企業文化を根付かせることが求められます。

それは疎外された社内環境で後天的に人格が曲がってしまったのかも知れません。

おじろくおばさが無くなった理由はなに?

紡績工業のお陰でおじろくおばさの制度を免れることができたという説があります。

おじろくおばさの漫画がある?

おじろくおばさの漫画がありましたので紹介させていただきます。

 

おじろくおばさの長野県天龍村は日本茶の名産地

さて、おじろくおばさの長野県天龍村は実は日本茶の名産地でもあります。

長野県天龍村へのアクセス方法は、以下のようになります。

【公共交通機関を利用する場合】

  • JR東日本の「あずさ」または「かいじ」に乗り、中央本線の松本駅で下車します。
  • 松本駅からアルピコ交通バスの「アルピコ号」に乗り、約1時間30分で天龍村に到着します。

【自家用車を利用する場合】

  • 中央自動車道の松本ICから国道158号線を経由し、約1時間半で天龍村に到着します。

なお、冬季の積雪期間中は、道路の凍結や積雪による通行止めが発生する場合がありますので、事前に道路状況の確認をすることをおすすめします。

中井侍銘茶は天龍村の名物です。

昭和50年に地元の茶生産者によって地元の名産品として結成されています。

場所が山の高所にあるということ。天竜川からの霧が発生しやすい場所で良質なお茶が取れやすい場所にあるということ。などから国内でも希少な価値を持つお茶があります。

ちなみにおじろくおばさが最後にいたのが 昭和40年代(1965~1974年)

昭和50年が1975年ということでぎりぎり、おじろくおばさが消滅した年くらいにお茶のブランドができたということ。

あなたはこの過去があってもこのお茶を飲みたいですか?