僕は父親のことを小学生の時まではまあまあ尊敬していたつもりでした。
ですが、歳を重ねるにつれてどうしようもないダメ人間だということに気がついてしまいました。
そんなこんなでこれまで生きてきてしまったのですが、父の日というイベント自体何もしておりません。
でもそれでも問題ないと思います。
お父さんありがとうといえなくてもいい。
お父さんありがとうと言わなければならない。
このような文化は日本に限らず他国にもあると思います。
ですが、自分の父親が尊敬できないのにもかかわらず「ありがとう」と言えるでしょうか?
仮に言えたとしてもそれは嘘をついていることになります。
そんないろいろな人がいる中でお父さんありがとうという言葉は強制力がありすぎて怖いです。
親父は一生学べ!
僕は父親という存在は父親自身が一生学ぶべき存在だと考えています。
何故ならば、人間は特に身近な人を手本として生きて、それが普通だと思ってしまう節があるからです。
父親が学ばなかったら子供も学ばない人間になります。
父親が糞だったら人生も糞になる可能性が高い
自分の父親が糞だったら自分の人生も糞になってしまう可能性があります。
蛙の子は蛙。ゴミカスの子供はゴミカス。
それはまぎれもない真実なのであります。
おしまい。
ではないのです。それを下記で解説します。
それでも君はダメじゃない
そんなこんなで、父親という存在がどうしようもないということで自分の自信がなくなってしまう人がいます。
また、ダメな男に引っかかったりだとか、恋愛が全くうまくいかないというのも父親の影響が強く響いていることも実際にあります。
ですが、それでもあなたはダメじゃないと強く信じております。
自分の人生というのは自分でこじ開けていく
仮に父親が糞でも、母親が終わっていても。
兄弟親戚が理解不能な存在だったとしても。
あなたの肉体と心はあなた自身が最後にはコントロールすることができます。
それはそれは苦しく、険しい道かもしれません。
なんせ一番身近な人がだめで、クズでどうしようもない人なのですから。
ですが、そんなあなたでも人生は切り開ける。
それは実際にクズな家庭環境を経験した僕が言えることです。
信じるか信じないかはあなた次第。
いつも自分を責める君
優しさゆえに自分を犠牲にする
自分をかえりみず誰かの為に変わろうとして生きてきた
憔悴し疲れ消えてしまいそうな自分に気付かず鞭を打ち続ける
しかし君を救えるのは誰でもない
君の力を必要としているのは
自分自身である
君には自分を救う力がある— GrigoryJenkinsBlanca (@GrigoryJBlanca) June 23, 2018
いいいい