自己啓発シリーズ。今回は感動は作れると言ってしまった某自己啓発の人について書いていきます。感動をありがとう!とか感動最高!とか言われる昨今ですが感動って本当に必要かどうかも含めて書いていきます。
1.感動は作れちゃう?
僕が某自己啓発のコミュニティに入っていた時にそこの教祖が言った言葉に感動は作れます。
という一言を出したことがあります。
このときに僕は目が覚めて、え?え?感動は作れるっておれもしかしてこの人に騙された?と
覆水盆に返らずなのですが、まんまと騙されていました。
そしてこの教祖はコミュニティに居る人たちを第二第三の教祖として洗脳しようとしていたのです。(恐ろしい!)
情弱の人たちは感動をありがとう!とかいいますが、感動などなくてよいのです。
だから24時間テレビもウソになります。感動をありがとう!とか言っている時点で思考停止状態です。
3に書きますが、感動は人に持ってきてもらう物ではなく自分で作る物なのです。
(という僕ももれなく彼に引っかかってしまった情弱だったのですが。。。。)
「感動をもらった」大合唱にほんまむかつくので簡単に調べてみた。勇気や元気がもらわれることは時々あったが、感動をもらうようになったのは98年頃以降。長野五輪やシドニー五輪、02W杯以降はもらい放題になった模様。ああほんまむかつく。誰からも感動とかもらうな!一人で感動しろ!
— 増田聡 (@smasuda) June 30, 2010
2.有名なんたら大学に注意
この自己啓発コミュニティの教祖の学歴はすごく高く、日本でトップの某大学(中退)の人でした。
僕自身もこの人のそういう学歴がすごい!という所があってこのコミュニティに入ってしまったところがあったと今では感じています。
学歴とか、どこの会社に入っているだとかそういう物差しで人を見てしまうという事自体が情弱への道なのだとその時に感じました。
だから盲目的に目に見えるものを追及してしまうとロクな事がないのだと。
第一大学卒業してからも●●大学卒。とかいう経歴を本やネット上でさらしていること事自体、マーケティングの一種で権威づけになります。
いい大人が○○大学とか言ってしまう時点で注意したほうがよい。
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3.感動は自分で作れ!
感動という物は自分自身の力で作っていくものだと考えます。
自分で何かを考えて行動して、失敗して形にしていく。これが出来るとできないので自分の人生の質として雲泥の差が出てきてしまうでしょう。
誰かに作ってもらう感動と、自分で作る感動。
感動などないっ! あんなものに…… オレが求めているのは…… オレの鼓動 オレの歓喜 オレの咆哮 オレのオレによるオレだけの……感動だったはずだ!(最強伝説黒沢 黒沢)
— 福本作品名言bot (@Fukumoto_Meigen) September 19, 2012
あなたはどちらを選びますか?
誰かの感動についていくのであればあなたは自分で成し遂げるものがないまま一生感動の餌食になってしまうかもしれません。
僕は断然自分で作る方向を目指します。
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いいいい