高橋慶彦さんといえば1970から80年代の広島を引っ張ったスイッチヒッターです。
そんな高橋慶彦さんの若い頃や伝説のエピソードがヤバいという噂がありますので今回調べてみました。
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高橋慶彦の若いころの伝説とは?
モテモテだった高橋選手の伝説を二つ紹介します。女遊びも野球も本気だった高橋選手は、よく、彼女の家にバットを持ち込んで夜中に素振りをしていたようです。
そうした努力もあって、今でいう山田哲人選手のような、「長打、盗塁、守備、打率」と均整の取れた名選手としてレギュラーを張ってきたのでしょう。
さすがにトリプルスリーという所まではいきませんでしたが、スイッチヒッターということ自体が珍しかった時代で成果を出してきたのですから、そうとうな努力をしてきたことは間違いありません。
その時代の写真がこちらです。確かにイケメン過ぎますよね。
基本的に運動しすぎ、動きすぎると体が故障してしまうリスクも高まりますが、そのリスクをものともせずに能力をひたすら伸ばし続けることができたというのは体が強かった高橋さんの実力だったのだと思いました。
そして、一番の伝説といえば、銀座のクラブのママであった当時の彼女に、ポルシェを買ってもらった話でしょう。
彼女と付き合っている際にの滞在先であるホテルで、偶然停車していた白いポルシェに見とれていた高橋選手に、小切手を渡し「これで買いなさい」と言った彼女であるママ。
広島にあるいすゞモータースという車屋さんでポルシェを購入してきたということです。
ポルシェの値段といえば、最低でも800万円台から始まり最高クラスですと2000万円もする高級車です。
そのくらい高橋選手に入れ込んでいたのでしょう。昭和時代が生んだ名選手であり名プレーボーイ、それが高橋義彦選手なのです。
そしてポルシェといえば、あの斎藤佑樹氏のカイエン乗りてぇの言葉を思い出してしまうのは私だけでしょうか?
高橋慶彦さんは自分自身の実力でポルシェをつかみ取ってしまったので、やはり相当な実力者であったことは間違いないでしょう。
一般のファンの人たちからもやはりモテモテでした。
本気で嫁になりたかった位好きでした(*^◯^*) RT @MASATAKA_0430: 高橋慶彦カッコエエ。(´ー+`)キラッ
— でこ@ロマンよりマロン (@dekosuke318) October 27, 2012
私も〜‼︎
じゃあ高橋慶彦わかる?
本気で嫁にもらって欲しかった(*≧∀≦*)— tokorin (@tokonatuf) October 30, 2016
某ピッチャーと同じ車になったということ。ちなみにその某ピッチャーは北別府学氏ではないかということをが言われています。
その時に載っていた車はBMWだったということですが、被るのが気に入らなかったようで速攻で車屋さんで交換してきたというエピソードがあります。
高橋慶彦は日本人で初めて目の下を黒くした選手
もう一つの伝説としては野球選手で目の下に黒塗りをされている選手がいらっしゃいますが、これを日本人で初めてした選手が高橋さんということです。
ちなみに1975年に目の下を黒くしたということ。
この時にコルクを燃やしてその炭を顔に塗っていたという普通の人では思いもつかなかった行動を行っております。
また、日本人選手で初めてガムをかんだのも高橋さんだったということ。
ストッキングをピンピンにしたのも高橋慶彦さん。
球界で初めて借り上げたのも高橋慶彦さん。
ということで、なかなか最先端のことをこれまでされてきたのだなということを理解できないでしょうか。