水島新司の息子の現在と引退理由の病気とは?

水島新司先生がお亡くなりになられました。

水島先生といえば野球漫画を知らない人でもドカベンの作者といえば

あ〜と納得してくれる漫画界のレジェンドだと思います。

新潟市内にはこのドカベンのキャラクターの銅像がある、ドカベンロードがあります。

特に少年時代に野球好きだった人たちはドカベンを読んで野球を勉強したり、実際のプロ野球の世界に夢見た人たちも多いと感じます。

そんな水島新司先生とその息子さんの現在、引退理由となった病気について調べてみました。

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水島新司の息子の現在について

水島新司先生の息子さんは水島 新太郎さんという方です。

生年月日:1967年2月17日 で日本の元俳優ということ。

もともと父の影響を受けて野球の英才教育を受けていたということですが、なかなか芽が出てこなかったということ。

若い頃にCDデビューしたり俳優を目標にしていたということ。

サード長嶋こと長嶋猛氏と「おぼっちゃま」というアイドル志向のコンビを組んでいたということはあまり知られていません。

水島新司先生が、親交のあったビートたけし氏に対して相談したところたけし軍団に入ったというエピソードもあります。

その中でもフライデー襲撃事件等の問題が発生してたけし軍団からは少し身を引いた後に、太田プロに復帰し精力的な俳優活動をしていたということです。

父の影響を受けて漫画好きということも多く受けていることがわかりました。

その後は表舞台でバリバリやるというよりは水島新司先生のマネージメント業務というところに落ち着いていたということです。

 

水島新司の引退理由について

水島新司先生は63年間という尋常じゃない年数を漫画家の第一線として活動してこられました。

2020年の12月に漫画家生活から退いたというところがあります。

水島新司の引退理由は病気?

引退理由については当時はよくわかりませんでしたが、今考えるとおそらく病気だったのかもしれません。

もう少し調べてみました。

この理由については水島新太郎氏があえて

情報を規制していた可能性が高いということです。

水島新司の経歴やプロフィールについて

名前 水島新司(みずしましんじ)
出身地 新潟県新潟市
生年月日(年齢) 1939年4月10日

水島新司の簡易経歴

1939年、新潟市の魚屋の家に生まれる。
1958年、日の丸文庫『影』の新人漫画コンクールにてデビュー。
1973年、小学館漫画賞を受賞。
1973年、講談社出版文化賞児童漫画部門受賞。
1976年、小学館漫画賞を二度目の受賞。
2005年、紫綬褒章受章。
2007年、日本漫画家協会賞文部科学大臣賞受賞。
2014年、旭日小綬章受章。
2022年、肺炎のため逝去

水島新司の代表作品

ドカベン
あぶさん
一球さん
野球狂の詩
大甲子園
球道くん
男どアホウ甲子園
光の小次郎

 

水島新司と野村克也の関係

水島先生は故野村克也氏との接触がありました。

そのきっかけとなった漫画が あぶさんです。

景浦安武の「入団交渉」のために当時の南海ホークス選手兼任監督であった野村克也を訪ねた時に、好きな球団を聞かれ「セは阪神、パは南海です」と答えたところ、「好きな球団は1つでええ」と言われたためその後はホークス一筋であった。

引用:wiki

というエピソードがあったということでその後南海から、ダイエー、ソフトバンクと時代が移り変わります。

ドカベンの主軸岩城がダイエーに入団したのも、水島先生の好みが反映されたからということがあります。

幼少期はあまり恵まれた環境下ではなかった水島先生はご自身の腕一本で莫大なお金を生み出すだけではなく野球界に多大な影響を与えたすごい先生だったということがわかります。

ご冥福をお祈りします。

 

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