木下雄介投手のストレートの球速を高校大学社会人プロで判別しました。
変化球はプロ時代のものを採用しています。
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木下雄介の高校時代ストレートの球速は?
木下投手は生光学園高校時代に140キロを越す投手だったということ。
木下投手は3年生の選手権徳島大会で、初戦から決勝戦までの5試合全てに先発し、16年ぶりの決勝進出に大きく貢献しました。準々決勝戦では優勝候補であった選抜出場の城南高校を1対0で完封し、準決勝戦では古豪、鳴門高校を2安打1失点に抑え完投しました。決勝の徳島商業高校戦では2試合連続完投した疲労もあり、3回2/3で降板し、チームは延長13回、2対3でサヨナラ負けを喫し甲子園出場を逃しました。
引用:生光学園高校HP
木下雄介大学時代のストレートの球速は?
駒澤大学時代は140キロ半ばは出ていたとのこと。
ただ、紆余曲折あり1年生で中退することになります。
木下雄介の社会人時代ストレートの球速は?
たまたま誘われた草野球のマウンドで、久々に握った硬式球。そこで、当時はまだ交際中だった奥様やスポーツジムの友人たちの目の前で、なんと150キロを計測。その時の奥様の言葉が忘れられないそうだ。
引用:ドラの巻「仲間に救われた」ドラゴンズ木下雄介が父の一周忌に誓う、壮絶人生からの脱却
ということで、ブランクの期間をものともしないくらいの球速があったということ。
この日はたまたま調子が良かったのかもしれません。独立リーグの入団当初は128キロという数字がでています。
武井壮さんが話されていましたが、だいたい20歳くらいからがスポーツ選手一番伸びる時期とのこと。
その時期に独立リーグに入団てきたのは非常に幸運だったともいえます。
木下雄介の独立リーグ時代ストレートの球速は?
独立リーグ時代入団当初は
球速はわずか128km/hと本調子にはみたなかったのですが、
だんだんと感触をつかんでいき150キロ近い
速球を継続的に投げれるようになっています。
しかしながら、独立リーグに入りたての頃は 一度野球を辞めた自分が、辞めたことのないガチの連中の中に入って行って勝てるわけがない。と弱気だったということも言われています。
そんな中でも支えてくれた奥さんの茜さんはあげまんなんだなと感じます。
木下雄介の中日時代球種とストレートの球速は?
MAX155キロ超えのキレのある直球。
平均球速148キロというかなりの剛腕。
こちらのサイトがものすごくものすごく丁寧に解説してくれています。
さらにあの野茂英雄氏に直伝で伝授されたフォークボールを武器とすることができました。
中日の春季沖縄キャンプを訪問中の野茂英雄氏(51=パドレスアドバイザー)が3日、木下雄介投手と藤嶋健人投手に“野茂フォーク”を教えた。 「2人は投げる時の腕の位置が野茂に似ている。指導してくれと頼んだ。ものにしてもらえれば、武器になる」… https://t.co/UJIyhswN9Z pic.twitter.com/pY0Bw9ngBI
— michael (@michael_de_ex) February 3, 2020
その他にはスライダーカーブと右の投手としてはかなりの本格派です。
ちなみにプロスピの能力ですとスタミナFと疲労回復Dとあまりありません。
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